うるう月に『うるう』を観る。#2

そんなこんなで前回の続き。

仙台到着後、どうするかなぁと思い検索すると、どうやら劇場の近くに「スリーエム仙台市科学館」なるものがあると判明。これは「館」好きとしては行かねばなるまい!と、いざ地下鉄へ。

いやー、地下鉄も何年ぶりだろう。そういえば昔、職場の上司が仙台出身で「仙台には地下鉄があるんだぜ」とドヤ顔してたっけなぁ。(岩手には地下鉄がないのです)元気かなぁ。


そんなことを思いつつ、到着した科学館。


おおお、なんだかちょっと良い雰囲気!そして結構デカイ。

ワクワクと中に入ると、小さなお子さんたちが縦横無尽に走り回っております。すげーフリーダムだなぁと順路通りに進んでいくと、模型に流れている水をせき止めて遊んでいる少年がいたり、「おかーさん」と呼ばれた女性が「ちょっと待って。お母さん今、運転中だから」と応えていたり。(モニターで車の運転ができるコーナーがあったのです)

展示内容自体も地形や車、動物、植物、恐竜などなど、盛りだくさんで楽しかったのですが、何よりそこで思い思いの時間を過ごす「人」を見ているのが楽しかったな、という印象でした。見て触って体験して、ということを大切にしている科学館のようなので、小さいお子さんがいらっしゃる方にはオススメです。


そしてそして。いよいよ時間が迫ってきたので、いざ劇場へ。初めての場所、初めてのホールには、いつもワクワクが止まりません。

ホール前にはすでに長蛇の列が出来ていて、30分ほど早くロビーのみ開場。その後は舞台トラブルか何かで10分ほど押して開場したものの、定刻で開演。開演前のアナウンスが終わり幕が開くまでの間って、その舞台の様子やお客さんの雰囲気がわかったりするのですが、この時の客席の前のめり感たるや。まだ幕が上がる前なのに誰もしゃべらず、とはいえピリピリしているわけでもなく。その状態が開演まで保たれたままだったので、一人でこっそり驚いていました。やっぱり小林賢太郎さんの舞台って、客席からして特殊です。


そうして始まった舞台は、久しぶりのコバケンさんということもあり、個人的に「そうそう、こういう感じだった」と思い出しながら観ていました。映像の美、音楽の美、タイミングの美、シルエットの美、笑いや驚き、寂しさなどの感情の美…。コバケンさんの存在を知ったのはもう10年以上も昔のことだけど、彼が追い求めるものは変わっていないんだなぁと思いました。やっぱり凄い。そして、「やっぱり」と言えるくらいずっと走っていてくれる姿に感謝です。


実は今回の舞台、中盤までは「少し何かが物足りないなぁ」と思いながら観ていました。もともとコバケンさんの舞台には『余白の美しさ』があると思っていましたが、それとも少し違う。なんだろう、この足りない感じ…。と思ってふと気がついたのは、今回のこのお芝居『うるう』は、いつも一つ余る、もしくは、いつも一つ足りない。丁度良いことがない。いつもピタっとこない。という人物が主人公になっています。

だからなのか?と。


舞台上のさじ加減を、あえてぴたっとはまらないように、でも決して明らかな不足感が出ないように、あえてわずかな違和感を残しているのか?と。


だってこれは、いつも何かが足りない、いつも何かが余る、決して丁度良くはならない『うるう』の人の物語だから。


それと同時に、この舞台は小林賢太郎という人が考えた世界の、ほんの一部分に過ぎないんだということを、ヒシヒシと感じました。彼が考える膨大な世界の、ほんのわずかな断片を見せてもらっているに過ぎないのだなぁと。


というわけで、なんだかいろんな感覚を刺激されたお芝居でした。そして今度は、ラーメンズの舞台を生で観てみたいなぁと思います。いつかやらないかなぁ…。

とっかり

フリーライター 山口由

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